これまでフランス革命の本は2冊読んで、今3冊目に取り掛かっている。酔っ払ったついでにフランス革命の面白さを友達に伝えようと思ったら、ちっとも言葉が出てこなかった。雰囲気だけ味わっただけで、腹落ちしてなかったんだ。
と、いうわけで今度こそ自分の血肉にするために3冊目を読み進めながら、文章に起そうと思う。
フランス革命は封建制度を覆した、世界で初めての民主革命だと記憶しているけど、始まりはやっぱりメシだった。当時フランスは冷害によって記録的な不作に襲われていた。小麦、パンの価格が高騰し、みんな腹が減っていた。「パンがなければケーキを食べればいいのに」とは、マリー・アントワネットの言葉である。オーストリア、ハプスブルク家の娘でルイ16世の妻、つまり王妃だ。マリー・アントワネットが実際にこの言葉は言ったわけではないようだが、贅沢をしていたのは確かだろう。
不作にあえぐフランスでは国庫も火の車だった。アメリカ独立戦争において、イギリスを敵に回してアメリカを支援した結果、多額の戦費を使っていた。得たものといえば、将来ニューヨークの自由の女神にこちらを向いてもらうことくらいだった。現在においてこそ、フランス革命とアメリカ独立戦争が民主主義を切り開いた国として世界がフランスを認識することの助けになったかもしれないが、当時はドーバー海峡の向こうに敵を作っただけだった。
燃え上がる国家財政と不作。どこからかお金を集め、国家財政の再建を果たさなければならない。フランス国王にとって財政再建は最重要、最優先の課題だったはずだ。時の国王ルイ16世がどれほど真剣に頭を悩ませていたかは別として。
さて、当時のフランスは3つの身分にわかれていた。建前としては、貴族、聖職者、民衆である。当時2300万人のフランス人口のうち、貴族は40万人以下、聖職者も10万人未満だったらしい。貴族と聖職者を合わせてフランスの2%。もちろん、この2%がフランスの富のほとんどを所有していた。まあ、最近の資本主義国家も似たような話らしいけど。更にびっくりすることに貴族と高僧は税金を免除されていた。国の財政を支えていたのは民衆の税金だったのである。貴族はその特権に見合ったより多くの責任を持つ、というが直接税を払わず、不作のなかもりもり食べてる彼らを尊敬できないと感じる民衆が多かったのは事実だろう。
貴族、聖職者、民衆の3つにわかれている身分は、立場上、国王、貴族と聖職者、民衆の3つにわかれている。国王は為政者として財政再建しなければならない立場である。貴族と高僧は既得権益を守る。民衆は腹が減って怒っている。という図式だ。
国王は財政再建したいけど、貴族は国家財政など知ったことではなかったらしい。なんとなく一体的に見えるこの2つは対立関係にあったわけだ。国王は税金を免除されている貴族と高僧から税金を取りたくて仕方がなかったが、ことごとく反対されて潰されていた。既得権益に跳ね返された財務長官は次々と交代していたらしい。命の危険を感じた人もいたようだ。これがノブレス・オブリージュと言われる貴族のやることだろうか、と思ったのは当時の人も同じだったろう。
専制君主、絶対王政など超絶権力が集まっていそうに見える王様も現実の力によって、その権力は増減していたのだろう。結局、金のなかったフランス国王は貴族に言うことを聞かせられなかったのだ。いくら強盗が犯罪だと法律で定めても、実際の警察力と刑の執行がなされなけば現実にはならない、ということなんだろう。
貴族と高僧から税金を取れないルイ16世に1つの選択肢が与えられた。忘れられていた全国三部会を開催して、議論はすればいいのではないかという話が振ってわいたのだ。選挙で選ばれた貴族、聖職者、民衆の代表者が行うもので、最終的には投票によって議決される。ルイ16世はこの三部会を使って貴族と高僧に税金を科したかったわけだ。この点において、国王と民衆の利害が一致する。腹をすかした民衆は歓喜し、国王万歳と叫んだ。やがてルイ16世が同じ民衆の手によってギロチン送りになることを考えると、この熱狂は感慨深いものがある。
つまり、フランス革命は民衆が民主主義をもとめて国王を引きずり降ろそうとしたわけではなかった。少なくとも、その始まりにおいては。
今日はここまで
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